【ネタバレあり】君の名は。考察と感想 酔っぱらった雑記

映画2回目見てきました。

基本的な流れがわかってたから今回はちょっとしか泣かなかったよ

 

やっぱこの映画はいいね。

というわけで熱意が冷めやらぬうちにブログを更新しようと思う。

 

ここからは映画版・文庫版・角川スニーカー文庫版のネタバレをもりもり盛り込んでいく。

特に、角川スニーカー文庫版を読んでないオタクは

スニーカー文庫版を読んで優勝してから見てくれ。 

君の名は。 Another Side:Earthbound (角川スニーカー文庫)
 

 

 

 

 

小説を見て思ったのは、

「神様って時にクソ」

ってことですね。

いや最終的にはこの神様がすべてを救うんだけどね。宮水の神様だから宮水ってものの存続にしか興味がないというか、そのために必要なら残酷なこともするというか。なんとなく僕らのイメージしやすい神様だったと思う。

でも、何もかも神様の決めた運命の通り進められていたと、全ての努力・想い・怒りすら全部全部筋書き通りに進められていたと知ったら、自分の今まではなんだったんだって思ってしまうと思う。

これを理解できたのはきっと宮水パパンだけだろうけど。

最愛の人が、そうあるべきだからと奪われて、そんなの間違っているはずだとずっと正そうと頑張ってきて、でもそれすら最愛の人を奪った運命の筋書きと同じだったとしたらどんな思いなんだ?

少なくとも俺には理解しきれないくらい憤って、そして虚しくて何もかもどうでもよくなってしまうんじゃないかなと思う。

唯一の救いは、その運命とやらもここで終了ということだろうか。

パパンは、奥さんのことをずっと愛していたけど、三葉のことだって愛していたんだろうとおもう。今は歪んでしまっていても、はじめは三葉だってこの宮水から救おうとしていたんだから。ただ、思いは誰にも通じなくてだんだん奥さんへの偏愛に歪んでしまっていっただけで、三葉への愛情はなくなってはいなかったんだと思う。本当に三葉のことを見ていなければ、入れ替わりに気づくはずなんてないんだから。

だから、糸森が終わって運命の筋書きがなくなれば、奥さんも三葉も解放されることはパパンにとって救いになると思いたい。

どちらにせよ、このときパパンがどう思っていたのか、僕は知りたかったなあと思う。

 

 

 

そして小説を読んでの二回目の映画鑑賞。 

やっぱ見方がかわるね。

 

一番味方が変わったのは、瀧くんと三葉の関係。

三葉が瀧くんに惹かれていく理由って映画だと割愛されてるんだよね。

でも、今は三葉には瀧くんじゃなきゃダメだったんだなって思える。

村の中では巫女として神格化されていて、さらに父親は町長。それが気に食わない人からはあら捜しをされてる。

「さすが巫女様」「巫女様だもんね」「さすが町長の娘」「町長の娘のくせに」

そんな目でしか見られていない。そんな町の中で生きていたんだよな。本当の自分、三葉自身を受け止めてくれる母親も、そして父親も失われてしまっている。残ったのはお祖母ちゃんと妹くらい。そんな町の中で「三葉」の居場所は少なかったんだろう。どれだけ自覚があったのかはわからないが、「いい子」でいなければいけないという脅迫めいた感情が三葉にはあったんだとおもう。

そんななか、瀧君との入れ替わりが始まる。最初夢だと思っていたのもあるし、取り繕う余裕がなかったのもあるだろう。瀧君と入れ替わっているときのほうがずっと三葉でいられて楽しかったんだろうな。

それに、入れ替わった瀧君にはありのままの三葉を見られていた。そして、瀧君も三葉を見てくれていた。ありのままの三葉にダメ出ししてくれて、バカなことをやって、お互い本気で怒って、分かり合った。ずっと装ってた「綺麗な巫女様」の仮面も見事にぶっ壊してくれた。そして、優等生じゃない三葉でも受け止めて貰えるんだってことを教えてくれた。

瀧君も三葉もなんとなく惹かれていったもんだとおもってたけど、改めてみると、三葉に瀧君が必要だったんだなと、そう感じる。これは宮水の神様の粋な計らいなのかな。

劇中最期に父親に立ち向かうシーンも、ひるまず立ち向かえたのは瀧君のおかげで、記憶が消えちゃってもちゃんと思いは残ってるんだって、三葉は変われたんだっておもえた。瀧君と過ごしてた時間が、記憶が消えたから意味がなくなってしまうんじゃなく、ちゃんとここに残っているんだって思えて、少し胸がジーンとした。

劇中で糸森なくなっちゃってるし、これからは「いい子」の立場を捨てて、もっと自由に生きられるんだろうか。何はともあれ、とにかく報われてほしい。劇中の言葉を借りるなら「ちゃんと幸せになってほしい」と祈らざるを得ない。

 

ちなみに、角川スニーカー文庫版では瀧君が三葉のことを知っていく描写がある。

そこに三葉に惹かれる理由があったかどうかはぼくにはわからない。

けど瀧君の目を通じて、三葉という女の子がどんな子か知ることができる。

読もう!な?!

 

そして瀧君。

ぼくの好きな瀧君。

二度目にいろいろ分かったうえで、もう一度見たけどやっぱいいね。

忘れたくないよな。でも忘れちゃうんだよな。わかってたけど、それが悲しくてやっぱり今回も泣いてしまった。

「糸森に知り合いがいたわけでもないのに」

このセリフが、本当に何でもないように劇中で使われるんだけど、瀧君が本当になんでもないことかのように、そう思ってしまっていることがひどく悲しかった。

それでも、記憶が消えてもちゃんと残っているものがあるんだと思えて安心した。三葉の癖が移って困ったとき髪を触ってしまうこととか。完全に忘れてしまえば楽なのに、「君がどこにいても探しに行く」って約束だけ不完全に覚えててもやもやした日々を過ごしていることとか。

瀧君の中に、ちゃんとあの時間が大切なものとして残ってる。そして、それを決して捨てないように今でも心に誓いを立てているんだって、そう思えてすごく胸が苦しくなった。

 

OPは「無くしてしまった何か、誰かを探している」、そんな言葉から始まる。でも、そういった感情だって記憶が薄れていったら忘れてしまうんじゃないだろうか。まだ成人していない時期の、5年も昔の、何が起きたかも覚えていない、そんなときの感情を覚えていられるのか。僕にはそれがわからないけれど。

でも、それでも二人がまだそれを覚えていて、探し続けているっていうのは、二人とも絶対に忘れないように頑張ってきたからなんだって僕は思う。忘れてしまったほうが楽でも、絶対忘れないように心に傷をつけて刻み込んで生きてきたからこそ、すぐに二人は二人だって認識できた。再会できた。そう思う。

母親の代からずっと「宮水の神様」がコントロールする世界にとらわれてこの話は進んできた。「運命」の通りに進んできたともいえる。出会いすら、「運命」の通りだった。もしかすると仲良くなるのだって「運命」の筋書き通りだったかもしれないし、別れだってあらかじめ決まっていたことだったのかもしれない。でも、この二人がが再会できたことは、運命の筋書きにない、二人が求めて作った、初めて自分たちの力でつくった思いの結晶だったんだ。

そして今度こそ、「運命」から解き放たれて、二人が自由に幸せになるための物語を作っていくんだと、そう思いたい。

 

ひねくれた大人になった僕だけど、この二人のこの先に、二人自身で描く幸せな物語が広がっていると願わずにはいられない。

もう一度劇中の言葉を引用する。

「ちゃんと幸せに」なってほしい。そう願う。